オーストラリア日記 食べ篇

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第1日(7月9日夜)  到着した人から軽いパーティー

パーティーが済んでから井上さんと中国の人を部屋に誘いました。

第2日(7月10日)   朝は寝過ごし


星の写真をとろうと5時ごろ起きたのですが、曇ってしまってまた寝たのが悪く朝ご飯にあり
つけませんでした。部屋にあった牛乳と空港で買ったマカダミアナッツですませ鱒。
でもモーニングティーは豪華で、甘いおいしそうなものだけでなくミートパイロールなんかもで
るんです。救われちゃいま舌。





お昼も結構ご馳走です、



夜はパーティーです。主役はVSOPに大協力したD.ジョンシーさん、今日が65歳の誕生日
です。そのためのワークショップとパーティー、世界中から集まりました。



第3日(7月11日)        朝は写真をとりました。

朝5時に起きて空を見ると晴れています。ありったけの下着シャツ等を着込んで出かけました
1〜4分露出、固定撮影で10枚くらいとりました。帰ってみるともうねる時間あんまりありません。
おかげでまじめに朝食にありつけました。









第4日目(7月12日)    シドニーへ出発
今日はチャーターバスでシドニーへ出発です。朝食は部屋に持ってきてくれるそうです。
注文どうり卵はレアになっていてご機嫌でした。


お昼は途中ブルーマウンテンの有名なリゾートホテル、古い立派な建物、奥に通ると谷に
沿って長く広げてつくったダイニングがあり、それは素晴らしい眺めです。ランチはバイキ
ングで随分いろいろありご馳走です。でも、「番号が見えなかった」とかでワインを持って
こないんです。おじさんにワインがこないなんて、ガッカリ度は・・・・・


xxバレイの素晴らしい眺め。上手の眺めはデジカメ広角で視野3枚分くらい続いている。


夜シドニーについて、ひとまず大学内のカレッジに落ち着きます。同宿の井上さん、平林
夫妻とタイ料理を食べました(写真忘れ)。

シドニー第1日(7月13日)

大学内のカレッジで目が覚め、井上さんと朝食を食べ、何となく出かけました。おじさん
にとっては40年前に働いた研究所がこのキャンパスにあったのです。井上さんも面白
がったかついてきてくれました。古い建物がいっぱい残ってキャンパスです。


会場のコンベンションセンターのあるダーリングハーバーは、おじさんの知る限りでは
コワイような(何とか刑事もので人質が監禁されていたり)港町だったんです。それが
20年だか前にエクスポ(だかなんだか)用地に再開発し、それをうまく(政治家がいく
らもうけたかは知りませんが)利用して博物館やホテルやらがひしめく観光地にしたの
です。とにかく贅沢で面白い街です。

井上さんとシーフード主体の(いかにも高そうな)レストランで食事しました。しかしカキ
も刺身もシーフードパスタも、みんなおいしくて、それにみんなが前を通りかかるので挨
拶したり引き込んだり、2時間以上かけての昼食でした。


ホテル(アパートメントと称するスイート部屋)は豪華でキッチンも「完備」明日からが楽しみ
で酢。一眠りして買い物に出ましたが、野菜、肉などのお店が見当たりません。昼間井上さ
んといったマーケットにでも行けばいいか、と近くのパブでシップすとビールで済ませました。


シドニー第4日 7月14日(月)

残り物で朝ご飯
キッチンはとっても完備、ものさえあれば何でもできるんですが、買い物が遠くて・・・・・朝は
夕べのバーのポテトとホテルの紅茶で何とかしました。そして昨日見つけた巨大マーケット
(そこでは雑貨食料お土産なんでも買える)をはじめあちこち歩いてみま舌。


多少は買い物もしたのですが、いろいろ歩いているといろいろ出会うんです。一緒に食事
したりアパートに連れてきたり・ ・ ・ ・ 野辺山の古い仲間宮地さんと亀谷さん


結局夜は近くの「ヌードルバー」になっちゃいま舌。もちろんここも面白いんです。@中マレー
タイA麺の種類B味付けと選んでいくとそれが食べられます。おじさんはメニューの他の部分
につられて別のが来ちゃいましたが、マァマァでした。


7月15日(火)     総会があり鱒

昨日の買い物の成果が現れ始めました。ひとまずきのことハムエッグ、それにレタスです。
卵、ベーコン、パンは近くで買えますが野菜はマーケットあるいはその近くまで(徒歩15分)
行く必要があります。マァ、これからどう楽しんでいくか。


会場近くで大石さんと出会いました。夕方の開会式まであまりすることないらしいんです。
少なくともお昼でも食べよう、ということになり、どこで食べる?何を食べる?なんて問答
から餃子やさんがあるらしい、大石さんのホテルのフロントで聞いてみると、ノースシドニ
ーに良いのがある、電話をかけてもらうと、11時まで閉まっている、それなら、というので
そのあたりを歩いていたらバーがあったので・ ・ ・ 
そうだ、大石さんって、野辺山時代ずぅ〜〜っと官舎で同居していたんです。官舎があふ
れて古い壊れかけのおうちを借りたときも一緒だったのです。おじさんが鹿児島に行って
野辺山では大石さんが官舎を持つようになると、事務にキーが預けてあっていつでも泊ま
れるようにしてくれていたんです。マァ、そんな関係ぃ。
とにかく11時になってタクシーでハーバーブリッジを渡って行ってみるとそんな店影も形も
ありません。ともかく近くの日本レストラン「九州」でいろいろ食べました。餃子ではなかった
が、マァマァ満足。
そんなことをしながらノースシドニーの崖の多いリヤス式の湾岸をフェリーの船着場や公園
がけにトマッタ大邸宅なんかを眺めながら2時間近く歩き、どうしてもトイレがしたくなったの
でまたビールに入り・ ・ ・ ・ を繰り返して、やっと何とか帰ってきま舌。


開会式は盛大、そのあと海部夫妻をはじめ日本語を話す不思議な歴史家などたぁ〜〜くさん
の人たちと夕食兼のみ会兼二次会をして、ホテルに向かいます。
夫妻のホテルはおじさんのアパートの近く、おじさんがあまり自慢するのでチョッと見よう、という
ことになり、深夜のご来訪とは相成りました。もちろん箱のワイン。


7月16日(水)    いろいろ始まる
朝はまたレタスにベーコンエッグです。近くのコンビニで買った塩胡椒だけ改善。


大石さんは電波天文周波数保護の国際委員会の委員長、これって自分の研究とはオフラ
イン、それも外国に行ったり、まるで異星人みたいなお役人、通信業界人、時には政治家、
どれも大抵は外人、英語が超うまい、と渡り合わなければならず、その間にある種の信頼関
係、人間関係を作り出していく、そんなことがからむ上、そんなことで外国に行く旅費なんて、
なかなか出ない、出ても、大きな顔、いやな顔、される。
ハンディを背負わされメリットのない仕事なんです。意義は十分理解できるので何かの拍子
にやり始めた人は逃げられなくなります。
大石さんは重要な分子のスペクトルをリストアップする仕事からこの分野に引き込まれて行
ったのではないかな、ともかくそんな一人、出も一生懸命、そして文句も言わない、(仕事とし
てはみんなの協力が必要なので犠牲になりながら文句が言えない)・ ・ ・ ・ 
トモアレ、ここ数年の動きを報告しました。


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