明珍さん姫路市芸術文化賞!

3月26日(金)    授賞式風景

明珍さんは火箸風鈴で一声(世?)を風靡しています。今回姫路市芸術文化賞をお受け
になり、授賞式によんでいただけることになりました。姫路キャッスルホテル三階は鳳凰
の間、おじさん「古希卸し」の会をやった部屋の真上です。

式では型どおり姫路市長(初対面)の挨拶(簡潔でよかった)、授賞、そし受賞者代表藤井
鈴代さんの言葉、と続きます。この挨拶、文化は平和のために!、子供時代に姫路空襲
の防空壕の中で、この風景を書き残したい、と歴史小説、エッセイを書く仕事に入ったこと、
せっかく平和憲法を持ったのに今は原爆を投げつけた国に従って軍隊を出動させている
る・・・・そして文化は平和のために、としっかり結んで最後には「あいつにしゃべらせると
1時間でもしゃべっているから3分ということにされちゃって・・・・・」
みんながじっと聞き入る、存在感たっぷりの「言葉」でした。そして終始神妙な明珍さんも
印象的でした。


もちろんパーティーは大いに盛り上がりました。あんまり写真はとれませんでしたが・・・・・


用語解説
明珍火箸
明珍は鎧鍛治の家です。打って鍛えた鎧の袖がすれた音がきれいなので時の天皇が「明にして珍なり」とその名を許されたのだそうです。国が大名の領地に分かれてお抱えの鎧鍛治を持ち、明珍は全国にひろがりました。現在明珍政党は江戸に一軒、姫路に一軒その一軒が今回の受賞の明珍さんです。
明治に鎧兜がいらなくなり火箸に活路を見つけまですが、それも木炭が使われなHなって衰退し、明珍家も困窮を極めました。当代が
火箸の音に目をつけて風鈴として売り出しました。何とか天皇のご託宣どおり大いに評判となり明珍家も盛り返した、こんな歴史の明珍家です。
現在は、昔とうとう一軒になってしまった鍛治場の一階を鍛治場に2階から上を一家でお住まいです。姫路駅から我家のまで歩いて1時間足らずのちょうど我が家まで10分くらいの場所です。
サイエンスツァーのコースにするのでいろいろお願いして仲良しになり、その後だんだん親しくなりながらお付き合いが続いています。姫路で飲んで歩いて帰る道すがら上がり込んで飲み足したり、旧知の富田勲氏が風鈴を使うので姫路に来られ、一緒に飲むのを誘われたり、主人が何かとお進物に(割引してもらって)使ったり・・・・今回の授賞式招待もそんな一環です。
姫路市長初対面
そんなこと取り立てて言うことも、と思われるでしょう。しかし:
市長さんわがアパートから2軒目のマンションにお住まいなんです。そして、京大宇物の出身なんです。
夏に火星観望会したときに、素敵なきれいなご夫人が小さな子どもを連れて参加されました。おじさんを知っていそうな口ぶり身振り、おじさんも何となく見覚えあり、そうこうするうちに近くの酒屋さんが参加して、「先生この方市長のxxxさんのお嬢さんですよ」そう言えば、この人xxxさんだ。
旧姓のxxxを言ってくれたらわかったのに、そんな初対面です。