サイエンスツァー第22回 「ひょうごは大きな博物館」
竹野海岸:奇岩と水運の歴史、海の幸
2006年10月21日(土)〜22日(日)
集合21日12時30分、姫路駅南口(新幹線口)
出発12時50分途中但馬空港にトイレ休憩、
15時50分竹野海岸北前館着
 本州としては一番狭いところですがとにかく瀬戸内から日本海までずばり横断、途中でYS11退役機に出会ったり、トイレに行ったりしながら予定より少し早く竹野は北前館に着きました。
 本州の日本会側、いろいろ見逃せないものがあります。日本海のかに、えび、ぶり・・・・、奇岩奇勝に散りばめられた景観、出雲の神様加賀の殿様越後の上杉出羽の巫女さん・・・・
 兵庫県のこの地区も、その例に習って見るとこ豊富です。今回は姫路往復が大きく時間を使うことを考えて竹野で北前船の歴史、香住から船で但馬海岸を眺め、最後に朝市センターで海の幸をお土産に、ということにしました。
 竹野は入り組んだ入江の奥、リヤス式海岸の良港で、大阪などから北まわりで東北、北海道に交易する「北前船」が多く出入りして栄えました。もちろん交易は奈良時代あたりからあったのですが、江戸時代になって蝦夷地開発が盛んになるにつれて大規模になり、物流の大動脈になりました。
 本州から渡った人たちの生活用品、開発の資材などが主のようですね。
 北前船で一番大きかったといわれる千石船の1/5模型が展示してあります。「千石」といえば万石の小大名の禄米の1/10、約1500トン積める大きさです。禄米のどのくらいを大阪で売ったか、他の産物はどのくらいあったか、当時の社会の規模、あるいは北前船が支えてきたもの、なんかが見えてきそうにも思えます。
 船が艫(とも、いちばんうしろ)から舳(へさき、船首)まで37mもあったと思いながら眺めるとまた違った印象をもつのではないでしょうか?
 山田先生が来てくださいました。北前船がどんなに大きかったか、どんなものを積んでいたか、船長は、船主は・・・・多岐にわたって熱弁を振るわれました。もう少し時間があれば、と思いました。右側は、もう少し前、250石積くらいの船です。
第2日:2006年10月22日 昨夜のバイキングはご馳走、そして男部屋の一つを占領して「懇談」、何時になったかわかりませんが、それにも負けず、7時フロント集合で希望者は朝の散策です。
 薄い霧がチョットかかっていますが好天です。リアス式海岸の海沿いのがけの上の小道を歩きました。
 あれぇ〜〜ッ藤沢さんがいない!!、ともかく桟橋に着いて待ち時間の有効利用、後ろに見えるのがかすみ丸、みんなで乗せてもらう船です。「三姉妹」は最近「二代目三姉妹」もデビュー、岩石やら地殻変動やら、結構専門的な解説(二代目はおじさん未経験ですが)も詳しくて評判です。
 水成岩からできていて何とかkんとかかんとか・・・・
 見事な節理、でももっと凄いのがで的ます。後ろの岩の天辺に見えるのは釣り人だって。
 こっちの岩の天辺は海鳥です。左の岩は上(茶色っぽい)と下で岩石が違います。
 これはどんな説明だっけなァ?